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【小説】ミステックドールズ序幕

序幕

 夜の闇に包まれた森が、いまや赤く染めあげられていた。
「はやく担架を持ってこい!」
 東京都郊外の小高い丘陵地帯の一角。まわりを深緑の森に囲われ、普段は静寂に支配されている場所も、その夜に限っては山の眠りをさまたげるほどに騒がしかった。
 深緑の森の中には近代的な二階建ての建物があったが、そこにいまやたくさんのパトカーや救急車があつまり、大勢の大人たちがあわただしく走り回っていた。
 その様子をたくさん子供たちが惚けた顔でながめていた。
「救急車の数が足らないぞ。救助用のヘリはどうした!」
「いま消防庁に要請していますが、風が強くて飛ばすことができないそうです」
「だったら、付近の消防署の救急車をありったけ集めてこい!」
 建物の前には白衣の子供たちが十人ほどへたり込んで座っている。
(このひとたちはなにしてるんだろう)
 その子供たちのひとり・遠鳴ゆかは、ぼんやりと大人たちをながめていた。誰かが側でゆかに声をかけてくるが、なにを話しているのかさっぱりわからない。
 目の前の建物から噴きだしている炎は、毎年母と見ていた花火のようにきれいだった。
 ふと両手を見れば、手が赤く濡れている。匂いを嗅ぐと、鉄錆の嫌な匂いがした。
(……なんだろう、これ)
 他の子供たちも糸の切れたマリオネットのように虚空を見上げている。
 ゆかもぼんやりと赤や橙色に染まる夜空をながめていたが、
「立ちなさい!」
 いきなり腕を引っぱられた。振り返れば、自分より小さな女の子がいた。彼女は大きな箱やファイルを左腕の脇に抱えていたが、右腕でゆかを引っぱり起こそうとする。
「死にたくなければ、立ちなさい!」
 強引に腕を引っぱられて立ち上がらされたが、また膝から力が抜けてへたり込んだ。けれど、女の子はひたいに汗を垂らしながら、建物からゆかを引き離そうとしている。
 時折、女の子は苦しげに顔をゆがめる。よく見れば、右肩と顔から血が流れている。
「なにしてるの?」
 ひたいから汗を出してまで、この子はなにをしてるんだろう。
「ゆか!」
 そのとき、ひとりの私服警官がこちらへと駆けてきた。
「あなたが遠鳴十護警部?」
「ああ。君が斎マヤか?」
「ええ。そうよ」
「これはいったいどういうことだ? 電話の後にここでなにが起きた?」
 遠鳴警部はわけがわからない顔をしてたずねるが、
「そんなことあとでいくらでも話すわ。いまははやく建物から子供たちを引き離して。いまこの建物の薬品庫で火事が起きてるの。その火が危険物に引火したら大爆発が起こるわ」
「なんだと?」
「だから、はやくみんな逃げないと死ぬわよ!」
 大人相手にも物怖じせずに女の子は叫ぶ。まだ九歳ぐらいの幼い女の子なのに、口調や態度はやたらと大人びていた。
「全員よく聞け。いまこの施設の薬品庫で火事が起きているらしい。その火が危険物に引火する危険があるそうだ。いますぐ子供たちを安全な場所まで避難させるんだ!」
 遠鳴警部の命令によって、いっせいに大人たちは子供たちを抱きかかえて安全な場所まで避難していく。子供たちは大人たちのなすがまま連れていかれた。
「君もわたしと一緒に逃げるぞ」
 遠鳴警部はゆかを抱きかかえると、女の子と一緒に逃げ出した。
「ゆか。しっかりしろ。お父さんが助けてやるからな」
「……おとう……さん?」
 その言葉をゆかは、遠鳴警部の腕の中で聞いていた。
 どうして、このひとはこんなに必死なんだろう。
 女の子は遠鳴警部を追いかけてきたが、木陰まであとすこしというところで、
「あぶないっ!」
 ふいに遠鳴警部を突き飛ばした。
 遠鳴警部は娘ごと地面に倒れ込み、ゆかは地面に投げ出された。
 瞬間、建物の硝子が粉々に吹き飛んで炎が噴き出した。
「ゆかっ!」
 遠鳴警部はゆかを守るように抱きかかえた。
 割れた硝子片が雨のように降りそそぎ、細かな硝子がゆかの腕や足にも降ってきた。
 振り返れば、遠鳴警部や女の子の体にいくつもの硝子片が突き刺さっている。
「遠鳴さん!」
 警官が遠鳴警部の下へと駆けつけてきたが、
「おれにかまうな。おれよりも急いであの子とゆかを……」
 振り返った遠鳴警部は目を大きく見開いた。
 大きな硝子片が女の子の両足を貫いていたのだった。
「ああっ!」
 真っ赤に染まっていく両足を抱えて、女の子は悲鳴をあげていた。
「担架だ! すぐにあの子を病院に運べ!」
 警官たちは急いでゆかと女の子のふたりを担架に乗せると、いま到着したばかりの救急車に乗せた。救急車に乗せられた女の子はすぐさま酸素マスクをつけられて救急隊員の応急処置が始まった。
 うめき声を上げて苦しむ女の子を見ていると、なぜか胸がきりりと痛んだ。
「……ああ」
 ゆかが女の子に向かって腕を伸ばすと、
「おとなしくしてなさい。怪我人にさわらないで」
 救急隊員に腕を振り払われそうになったが、
「いいの」
 女の子が救急隊員の腕を振り払い、ゆかの手を握ってきた。
「これはあたしの罰。あなたのお母さんを殺した罰なの」
 女の子は微笑むと、しっかりとゆかの手を握り替えしてきた。
 その小さな手のぬくもりがあたたかくて、ゆかは深い眠りの奥へと落ちていった。
 この子とふたたび巡り会うまでに、五年もの歳月がかかることも知らずに。

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