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欲望

「あ、とりあえず助手席、乗りなよ。エアコンかかってるから、外よりは涼しいからさ」
 彼の言葉に有難く火傷しそうなほどに熱を持った車のドアへと手をかけて開く。乗り込んだ軽トラックの中は涼しく、汗が冷やされて寒いほどだった。僅かなバニラの香りと煙草特有の燻された草の香りが鼻を擽る。車用の芳香剤だろうか、エアコンの送風口に小さなプラスチックが取り付けられて、中の黄色をした消臭ビーズが車の振動に揺さぶられ、跳ねているのが見えた。車の中のにおいが、昔から好きだった。友人の父親の車や、初めて乗ったタクシーのにおい、香りは五感の中で最も人の記憶に密接しているものだと思う。忘れていたものを強烈に思い起こさせるのは、いつだってにおいだった。
 シガーソケットに、車用の灰皿にはこれでもかと吸い殻が乗っている。少しでも足が当たると全て零れそうな量だった。
「で? なんでわざわざそんないいところの格好をした女の子が夏雲のところに?」
 彼の問いは最もなものだった。この近辺で最も大きな家だとは言え、彼の家は結局田舎のそこそこの金持ちでしかない。この近辺ではあまり好まれていない夜這い文化の残る家でもある。そんな家に女性が一人というのは疑問の残るものなのだろう。
「……僕は、左大の家の春風です。最近、家の中が息苦しくて、今年の夏休みを納言さんのお宅で過ごしたいと……両親に許可は取っていますし、納言さんのご両親にも、連絡はしています」
 僕の言葉に、彼は瞠目をする。そして大層言い難そうに口ごもりながらも口を開いた。
「……オレが、納言のところの夏雲だ」
 僕はじっと、彼のことを見つめる。あの頃と同じく短く刈られた髪、後頭部は刈り上げられている。その髪の下にある精悍な顔立ち、顎に髭の剃り残しがあるのが見えた。軽トラの荷台に乗っていた網から、彼が家業を継いで漁師をしていることが分かる。日焼けをした肌に汗と潮風の移り香が鼻孔を擽る。僕の太ももほどもある二の腕が僕の背後へと回る。助手席の座席裏へと触れた力強い腕によって互いの体がぐっと寄る。
 瞳の中に映るのは男の欲だった。
 男臭いにおいが、ぐうっと近くなる。
 日焼けをしたためか記憶の中の彼よりも瞳の色が濃くなった虹彩に、僕の顔が鮮明に映り込んでいるのが見えた。
 触れた唇に、思わず目を閉じる。僅かな潮の味が舌に触れて、胸が騒めく。あの日僕が触れることのできなかった、彼の唇。僕の舌先に触れ、絡む彼の舌からは生っぽい味がして、存在しない子宮が収縮するような感覚。

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